田主丸には、古くから河童伝説が数多く残されて、田主丸のいたるところで河童に出会うことができます。
久留米市を流れる九州一の大河筑後川は、昔から筑後平野という豊沃地帯を造ってきました。しかし、その反面大変な暴れ川で、一夜にして川底の流れが変わることから、一夜川という異名を持っています。大洪水に苦しめられていた人々は、これを神業、神の祟と考え、そこで神に対する深い信仰が生まれ、水神信仰となったのです。
その後、世の中が次第に複雑化するにつれて、水神の信仰も分割化し、河童の信仰も生まれ育ったものと思われます。そこで田主丸には、昔から荒五郎大明神をはじめとする様々な河童の信仰が生まれ、各所で祭るようになりました。上半身は裸で、フンドシをつけて、頭の上にはへこみ(頭の皿)がある九千防河童や、えんどう河童など大洪水を伏せる神として信仰を重ねてきました。
田主丸の河童の由来には二説あり、一つは、中国大陸出身の九千坊が家来を率いて、熊本県八代市の球磨川に移り住んだが、肥後藩主の加藤清正の討伐に遭い、筑後川に逃げ込んだとする説。もう一つは、壇ノ浦の合戦に敗れた平家一族が筑後川流域に逃れ、その怨念が化けたとする説で、平清盛の化身は巨瀬入道としてまつられています。