明治の文豪・夏目漱石は、旧制第五高等学校教授の時代に5回程久留米を訪れています。
明治30年には、漱石は親友菅虎雄を訪ね、高良山中腹の高良大社に行き、耳納連山を越え、彼方まで広がる筑後平野に咲く一面の菜の花を眼下に見下ろし、発心(草野町・発心公園)まで行って桜を見物しました。この時の山越えの体験は、のちに名作「草枕」の中にも生かされたと言われています。
その時、漱石は「高良山一句」と題して、十の句を詠んでいますが、漱石の歩いた山道、現在の自然歩道「耳納縦走コース」と「発心城コース」の約14kmを「漱石の道」と命名し、十句の内五句を、展望のきく場所に、市内在住の気鋭の彫刻家に依頼して句碑を建立しました。
句の由縁となった美しい自然と共に、詩情豊かなふるさとをめぐる道として、多くの人々に親しまれています。
「松をもて囲ひし谷の桜かな」(発心公園内:平成5年度)
「菜の花のはるかに黄なり筑後川」(森林つつじ公園:平成5年度)
「濃かに弥生の雲の流れけり」(発心城跡西:平成6年度)
「人に逢わず雨ふる山の花盛り](森林つつじ公園東方:平成6年度)
「筑後路や丸い山吹く春の風」(森林つつじ公園東方:平成7年度)