江戸後期、久留米絣の創始者 井上伝と東芝の創業者 田中久重は、五穀神社(通外町)の近所で生まれました。五穀神社は7代藩主 有馬頼徸によって創建された神社で、境内には伝と久重の胸像が建てられています。この2人にはある繋がりがありました。
久重の手記とされる「年譜」に『文化10年絵がすり発明』とあります。文化10年(1813)といえば、伝は26歳、久重は15歳です。「かすり」は、伝が13歳のときに創製した紺地に白い斑紋の綿織物のことで、模様が掠れて見えたことから『加寿利』と名づけて販売していました。どうして久重は『絵がすり』の発明をすることになったのでしょうか。
あるとき、伝は機織りの手を止めました。また絵の模様がうまく織れなかったのです。伝は城下・原古賀町(現・久留米市本町)の井上家に嫁いでからも、寝る間を惜しんで織っていました。どうしても紺地に白い部分を規則的にあしらった模様に満足できないのです。
「これまでと全く違った方法が必要なのだわ。あの少年なら何か分かるかもしれない」
それが「発明少年」の久重でした。わずか9歳で大人も驚くような『開かずの硯箱』をつくってから、次々に箱や箪笥に独創的な細工を加えていると評判だったのです。伝は迷いました。自分の生家の近くにある鼈甲細工屋の息子とはいえ、当時の男女関係の風習から親しくはなかったのです。しかし、意を決して伝は久重に会いに行き、たずねました。
「紺の中に、花や鳥のような模様を織りたいの。よい方法はないかしら」
久重は、『加寿利』で名の知れた伝を知っていました。その女性が絵の模様をうまく織り出せずに苦心しているというのです。久重は首を傾げました。
「紺と白のまだらの模様が織れたのだから、同じことだろうに。どうしてだろう」
久重は大人が驚くような理屈をいう少年でした。その頃、家業の鼈甲細工に興味がもてなくなり、五穀神社の祭礼で自分のからくり人形を披露しようと、2階の部屋にこもって考案と製作にふけっていたのです。興味を覚えた久重は、機の構造や織り方について伝に何度も質問しました。年齢の差はあっても、2人には相通じるものがあったのです。それは、新しいモノを創り出す喜びでした。久重は熱心に耳を傾けて、こう答えました。
「からくり人形とは違いますが、やってみます」
久重はすでに構想を練っていたのでしょう。部屋に戻って何日も考え、ついにある案を思いつきました。それは「板締め技法」といわれるものです。板面に絵の模様を彫刻して、それから織り糸をその板に張り、もう1枚の板で挟んで、かたく締めて染めたら絵模様が織り出せるのでした。伝は少年の才能に感服しました。
「絵の模様を織る方法は分かったわ。後は、私の腕しだいね」
今度は、伝が試作を繰り返しました。そうして、ようやく心に描いていた花の柄が浮かび上がったのです。さらに久重は、機の改良や糸の組み方なども教えたとされています。こうして、久重の考えた『絵がすり』が生まれ、伝に新しい技術が加わったのです。
それからの2人は全く異なる道を歩みます。伝は久留米の地に留まり、数千人にも及ぶ弟子に自分の技術を教えました。久重は、からくりの才から「からくり儀右衛門」と呼ばれ、大阪・京都などに出て、時計師、近代科学の技術者として活躍しました。
伝と久重は、子どもの頃から折に触れて五穀神社にお参りしたことでしょう。郷学の森に並んで建つ2人の胸像は、お互いの偉業を称えるようにほほ笑んでいます。
写真=(郷学の森に並ぶ井上伝と田中久重の胸像・機織り機)
主な参考資料=『久留米絣200年のあゆみ』・『先人の面影・久留米人物誌』・『田中久重伝』・『からくり儀右衛門』他
取材、執筆 オフィスケイ代表 田中 敬子
- 久留米藩第7代目藩主有馬頼徸によって創建。かつて久留米三大祭礼の一つ「御繁盛」が催され、この時に田中久重は「水からくり」などを次々に考案して披露した。放生池には、文化3年(1806)に架けられた、桁行5間、梁行2間の石造反橋(市指定有形文化財)がある。また、五穀神社に隣接する「郷学の森」には、井上伝や田中久重をはじめ石橋正二郎、石橋德次郎、倉田泰蔵、楢橋渡の6人の胸像が設置されている。
- 久留米が誇る伝統工芸品「久留米絣」の魅力を満喫できるイベント。毎年3月に「地場産くるめ」を会場に開催されている。久留米絣や工芸品を割安で購入できるほか、久留米絣のファッションショーや新作発表会、記念撮影会、手織り体験、絣小物手作り体験など盛りだくさんのイベントが行われる。
- 久留米市通外町58
- ・JR鹿児島本線「JR久留米駅」から西鉄バス利用「五穀神社」下車、すぐ
・西鉄天神大牟田線「西鉄久留米駅」から徒歩約10分
・九州自動車道「久留米IC」から車で約10分
- 久留米市東合川5-8-5
- ※フェスティバル期間中は、会場までJR久留米駅発・西鉄久留米駅経由の無料シャトルバスが運行
・JR鹿児島本線「JR久留米駅」、または西鉄天神大牟田線「西鉄久留米駅」下車、西鉄バス利用「地場産業センター入口」下車、徒歩約3分
・九州自動車道「久留米IC」から車で約3分 - 藍・愛・で逢いフェスティバル