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久留米物語

※「石橋美術館」は、2016年11月19日より新たに「久留米市美術館」として開館しました。

【久留米物語】青木繁と坂本繁二郎 久留米生まれで同い年、友でありライバル。青木は天に住み、坂本は地に住む。

JR久留米駅前には、「夭折した天才画家」の青木繁、「近代洋画の巨匠」と呼ばれる坂本繁二郎の代表作の陶板が展示されています。2人の共通の友人だった梅野満雄は、久留米生まれで同(おな)い年、似ていて異なる2人についてこう書いています。

『青木は天に住み、坂本は地に住む。(中略)青木は早熟、坂本は晩成―』

2人は明治15年(1882)に久留米で生まれ、高等小学校の同級生でした。先に洋画を習い始めたのは坂本です。10歳のときに画塾で学び、3年ほど遅れて青木が入りました。洋画家を目指して上京したのは青木が先です。後に、坂本は徴兵検査で帰省した青木と一緒に上京しました。共に貧しい画学生で、久留米に残した家族を養う責務を負っていました。


青木は美術学校在学中に白馬賞を受賞し、明治の洋画壇に彗星のごとく登場しました。21歳のときでした。この頃の青木について、坂本はこう書いています。

『画壇の一部から鬼才とまで恐れられながら、主流にはいられず、また愛人福田たねとの将来のこともあって、そのいらだちが私にも伝わってきます。陽気かと思えば不機嫌に当たり散らし、ふさぎ込んでいたかと思うとはしゃぎ出し、神明町での1年足らずの共同生活は、さすが辛抱強い私にとってもがまんできないこともありました』


そんな2人は人生の岐路に立ちます。明治40年(1907)のことでした。東京府勧業博覧会において、坂本は『大島の一部』で3等賞を受賞し、青木は『わだつみのいろこの宮』が3等賞末席に終わりました。青木は失意のうちに、父危篤の知らせで帰省します。秋の第1回文展でも坂本は入選を果たし、青木は落選しました。


明治42年(1909)の夏頃、2人は久留米の馬鉄通りで3年ぶりに再会しました。27歳になった頃でした。馬鉄通りは現在の明治通りのことで、鉄道馬車が走る賑やかな通りでした。坂本は就職して雑誌に漫画を描くかたわら本業の油絵も描き、結婚の準備のため久留米に帰っていました。一方、青木は中央画壇への復帰を試みながらも、極貧の中で一家は離散同様となり九州各地を放浪していました。


青木は坂本に、「あっち(東京)はどうだ」と聞きます。「何にもない」と坂本。「友人は自分を捨ててしまったろうか」と青木。坂本は「ことごとく君を捨てていない様だ」と答えました。いろいろと弁解を始めた青木に、「弁解は聞きたくない」と坂本。「じゃ飲もう」と言って青木は、大きなコップを挙げてビールを1気にぐっと飲みました。


「自分ながら酒の量があがったのに驚いている。今はどれだけでも飲める」

酒を飲めない坂本は西瓜ばかりを食べていました。久しぶりに出会ったのだから、話が少しはありそうなものだけれども、出てこないのです。それから青木は、「じゃ、失敬」と言って、夜の町に消えました。これが、2人の今生の別れとなりました。


翌々年の3月、青木は福岡市の病院で肺病のため亡くなりました。28歳でした。昭和になって、『海の幸』と『わだつみのいろこの宮』の代表作2点などが、ブリヂストン創業者、石橋正二郎の所蔵となります。石橋は坂本の勧めで青木作品の収集をしていたのです。坂本は独自の画境を確立して大成し、87歳の生涯を終えました。


※タイトル横の画像はJR久留米駅まちなか口に並ぶ「海の幸(青木繁)」と「放牧三馬(坂本繁二郎)」のモニュメントです。
主な参考文献=『青木繁と近代日本のロマンティシズム』・『石橋美術館開館50周年記念坂本繁二郎展』・『坂本繁二郎文集』他

取材・執筆 オフィスケイ代表 田中敬子

青木繁≪自画像≫1903年石橋財団ブリヂストン美術館蔵

坂本繁二郎≪自画≫1923-30年石橋財団ブリヂストン美術館蔵

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    開館時間
    10:00~17:00
    休館日
    月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
    料金
    無料
    住所
    久留米市荘島町431
    アクセス
    西鉄バス「本町」バス停より徒歩8分、
    または「荘島」バス停より徒歩7分
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    開館時間
    10:00~17:00
    休館日
    月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
    料金
    一般210円(150円)・小中学生100円(50円)
    ※()は20名以上の団体料金
    住所
    久留米市京町224-1
    アクセス
    JR鹿児島本線「久留米駅」より徒歩約5分
    リンク先
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